苦楽堂通信

インタビュー

2023年1月12日号

神戸の鳥瞰図絵師・青山大介さんに8年ぶりに訊く【第2回】

ぼくはなんで「函館鳥瞰図」を描いたのか

文・苦楽堂編集部

(自腹で)チャーターしたセスナの機内から函館を空撮中の青山大介さん。

神戸の鳥瞰図絵師・青山大介さんの最新作は、北海道・函館の鳥瞰図。その完成を機に、1月14日(土)10:00〜12:00、函館 蔦屋書店で青山さんのトークイベントが開催されます。
《鳥瞰図絵師「青山大介氏」来函トークセッション──函館 蔦屋書店専門書コンシェルジュ 福島誠が訊く》
https://www.hakodate-t.com/event/39136/
同店2Fステージでは1月9日(月)から22日(日)まで青山さんの最新作「函館鳥瞰図」が展示されます。しかし青山さん、なんで神戸から直線距離で約900㎞も離れた函館を描いたんですか?

初めてお墓参りができました

「函館鳥瞰図を描くぞ」と決める前に、函館に行ったことはあったんですか?

【青山】初めて行ったのが2009年11月。中田匠(岩手県盛岡市の鳥瞰図絵師)くんに案内してもらいました。彼、そのとき、函館の鳥瞰図をちょこっと描いてたんですよ。

中田さんはなんで函館を描こうとしたんですか?

【青山】やっぱ、石原正(※)さんのふるさとだから。

※石原正(いしはら・ただし) 1937年、北海道函館市生まれ。金沢美術工芸大学卒業後、大阪読売広告入社。69年に退社し、都市鳥瞰図絵師となる。超大作「ある紐育の一日」をはじめ、「大阪万博マップ」「京都絵図その1~3」ほか約30点の作品を制作。神戸ゆかりの作品に82万部を売り上げた「神戸博公式ガイドマップ」、「神戸絵図」がある。著作に『鵜の目、俺(タカ)の目』(東方出版、1993年)、共著に『鳥瞰図絵師の眼』(INAX出版、2001年)。2005年没。享年68。青山さんは高校生の頃に石原さんの鳥瞰図に出合い、遂には本人にも会って「ちょっとだけですけど」(青山さん談)直接の師事を受けたことがある。

今を生きる鳥瞰図界の人々は「石原正=函館」ということをみんな知っている?

【青山】少なくとも……まあ2人だけですけどね(笑)。

青山さんは、初めて函館に行ったときには、もう「函館を描く」と決めていたんですか。

【青山】いや、初めて行ったときは……。石原さんの愛した函館を見たかったんです。

どういうルートで行ったんですか、最初の函館。

【青山】大阪から飛行機乗って青森空港着いて、八甲田山雪中行軍遭難資料館を見て……。

寄り道してる(笑)。

【青山】はい、寄り道して(笑)、特急に乗って青函トンネル通って、夕方に函館駅について。11月ですから、もう真っ暗になってる函館の街に初めて降りて。中田くんと一緒に函館山のロープウエイ乗って、夜景見て感動。翌日函館を回る、と。

お天気は?

【青山】よかったです。あとね、忘れもしない、青函トンネル越えて北海道に入って走っていくと、木古内(きこない)駅を過ぎてから遠くの対岸に函館山が見えてくるわけですよ、夜景でね。で、中田君が言ってくれたんです。「ダイさん、今日これは絶対夜景きれいですよ」って。山がくっきり見えてるから。「ああやって見えてるってことは、上からも見えるんですよ」って。彼は一日の長があったんで。

最初が2009年。2回目はいつですか。

【青山】次は2015年11月の3連休。その年の夏におしごとした関西の毎日放送のディレクターさんから電話かってきて「青山さん、函館に石原さんのことよく知ってる、お墓の場所も知ってる人いましたよ。よかったら連絡してあげてください」って。ぼくはすぐ電話して、もうなんかもうめっちゃうるうるしながら「絶対今年函館行きます!」みたいな感じで11月に行ってお会いして、初めて石原さんのお墓参りができた。それまでお墓の場所さえわからなかったんで。

石原さんのお墓どこなんですか?

【青山】称名寺(しょうみょうじ)。「函館鳥瞰図」の中で真っ先に描いてます。

2015年の11月、2回目の函館は鳥瞰図を描く気で行っている?

【青山】はい、なのでこのとき、市役所に乗り込んで地形図買いに行ってます。

その「地形図」って、国土地理院の地形図とは別のものですか。

【青山】はい、函館市が発行している2500分の1地形図。ぼくが鳥瞰図描くときのスタートってそこなんですよ。まず第1歩だと思って買ったんです。で、お電話したじいちゃん──石原さんの同級生の方に会って、お墓連れてってもらって。その方から毎年年賀状でプレッシャーかけられますね(笑)。「函館、待ってます」「鳥瞰図、早く」みたいな(笑)。

「もう俺がやりたいの函館しかない」

鳥瞰図絵師は、最初に地形図を買う。そのあと、描こうとする街を相手に何をするんですか。

【青山】歩き回って地上撮影ですね。

とりあえず函館山に登って高いところから見る、というわけではない?

【青山】風景画描くわけじゃないんで。一棟一棟あるものはあるだけきっちしと描く絵ですから、1カ所の定点から眺めた景色だけではまったく何の役にも立たないですね。地上を全部歩き回ります。そうやって歩き始めたのが2017年の11月。

3回目の函館ですね。

【青山】はい。なぜそのときから始めたかというと、神戸開港150周年のしごとが一段落して手が空いてきたときだったんですよ。ぼくの鳥瞰図の商品化をずっと手がけてくれていた「くとうてん」(注・神戸の編集プロダクション)の方に「青山さん、次にほんまに自分がやりたいところってどこですか」って、焚きつけられましてね。ぼくは「金も出せへんくせに、俺にそんな、地獄の目に遭わせるようなこと言うなよ」って内心思いながらも、「よっしゃ、もうしゃあない、もう俺がやりたいの函館しかないやないか。やったるで!」って動き出したのが2017年11月の現地取材。

2017年11月の時点で、経済的には地獄が待っているという予感はあったんですか。

【青山】ああ、でもまだ今ほどきつくなってなかったかな。開港150周年のしごとでちょこちょこお金入ってきてたんでね。あの年ってぼく、ドイツも行ってますからね。

ドイツ?

【青山】ボルマン(※)って鳥瞰図の会社も行ったりとかしてるんで、海外行けるぐらいのお金はあったんですよ(笑)。開港150周年があったから函館の取材費用賄えたんです。あれがなかったらぼくいまだに函館手ぇつけれてないかも。取材費用で100万円以上かかってますから。4、5回通って、セスナ機も飛ばして上から空撮して。セスナ機飛ばすだけで30万円ぐらいしますからね。

※ボルマン Bollmann-Bildkarten-Verlag GmbH & Co. KG [ボルマン絵図出版社 https://www.bollmann-bildkarten.de/ ドイツ北部ニーダーザクセン州ブラウンシュワイク市]。石原正にも大きな影響を与えた鳥瞰図絵師、建築家、グラフィックデザイナーのヘルマン・ボルマン[1911-1971]の作品を刊行する出版社。1948年創業。

セスナ飛ばしたのは何回目ですか。

【青山】えっと、ちょっと整理しますね。まず2017年11月に3回目行った。その次2017年の12月31日からの年末年始に4回目の取材に行ってます。次に2018年5月のゴールデンウィークが5回目。その次、2018年のお盆休みが6回目。ここまでぜんぶ3〜5泊して歩き回って写真撮ってます。6回目で一応地上取材が終わって、まあ、順番おかしいんですけど、最後の7回目、2018年10月に空撮しました。札幌丘珠(おかだま)空港からセスナ機で飛んで。

え? 函館空港じゃなく?

【青山】函館空港にはセスナを飛ばす会社がないんです。北海道航空っていう会社のセスナで丘珠空港から飛んでいって、函館の街を上空から見て写真撮って、ぼくは函館で降ろしてもらいました。で、コロナ前の2019年5月、初めて、人のお金で(笑)函館取材に行きました。往復の飛行機代とホテル代出してもらって。「トランヴェール」(※)の特集に出たときです。

※「トランヴェール」 JR東日本の新幹線車内サービス誌。2019年7月号特集「鳥の目で描かれた青森・函館」に青山さんが登場している。https://www.jreast.co.jp/railway/trainvert/archive/2019_trainvert/1907_01_part.html

これが8回目。

【青山】はい。翌年2020年はコロナでまったく函館には行けず。ようやく2021年のクリスマスに函館行きましたね。これが9回目。コロナがちょっと落ち着いていたんで、「いっぺん函館行っときたい」って。

もう見るもんは見終わった、と?

【青山】はい。見終わって、念のため。このあとは1月に函館行く予定です。函館 蔦屋書店でトークイベントと「函館鳥瞰図」の展示をやります。

「函館 蔦屋? そこ絶対いい行っとけ!」

函館 蔦屋書店はどうやって話が来たんですか。

【青山】ぼくからメール送ったんです。1期部分、左半分が完成しそうなときに、「これ、なんとかして函館で展示会したいな」って思って函館の友達に「どんなしたらいいかな。どこがええやろう」って相談したら、「函館 蔦屋書店とかどうですか」っていう話が出て。別の函館の友達も「そこ絶対いい! そこ行っとけ!」みたいな感じで後押ししてくれたんで、函館 蔦屋書店にメール送ったんです。そしたら向こうからも「うちでやりたい」って。今回のイベントでお相手をしてくれる函館 蔦屋書店の福島誠さんもぼくの Twitter をフォローしてくださって。

さっき「1期」って言われましたよね。そもそもなんで1期と2期があるんですか。

【青山】全体がいつ完成するかがまったく目処が立たなかったんで。2022年の春の時点で「まだこの辺できてない。この辺もほとんどできてない……」という絶望的な状態やったんです。「この絵、ひょっとしたら10年かかるんちゃう?」みたいな。なので、なんとしても、半分だけでも、1期だけでも完成させて世に出したかった。そして、函館の人に知ってもらって、2期を描くための力が欲しかった。やっとここまで来れたんですよ……。出したら、石原さんの旧知の人にも見てもらえる。たぶん1月の函館訪問のときには、石原さんのお墓に持って行って「やりました!」って見せれるはず。

じゃあ、2023年のうちに商品化含めて函館のプロジェクトは完成を見る、と。

【青山】はい。

函館で、石原さんの同級生以外の方で石原さんのことを知ってる人に会ったことは?

【青山】知ってる人、ひじょうに少ないんじゃないですか。ぼくの函館の友達もそれまで知らへんかったでしょうし。石原さんは函館西高校出身で北島三郎と同級生。北島三郎のことはみんなが知ってるけど、今でも函館の大半の人は石原さんのこと知らないんじゃないかな。石原さんも、函館の鳥瞰図、「描けるかも」っていう間際まで行ってるんですよ。1980年代前半ぐらいかな。何かの事情があってぽしゃったみたいですけどね。

青山さんからすると、なんか仇討ちみたいな思いもあるんですか。

【青山】まあ……石原さんにとって函館描くのは夢だったんでね。それを描けんまま死んでね……。

函館で、神戸より先に起きていること

神戸を描いてきました。函館を描き上げようとしています。2つの街は何が違いましたか。

【青山】函館は1つ1つのブロックが小さくて道が広いので、描きやすいっちゃ描きやすいですね。建物が後ろに被っていかない。神戸ってどこを描いてもどこか被っちゃうので、そのあたりは神戸のほうがめんどくさいかな。函館は境目が少々ずれても、道路で切られるんで、あとで微調整がしやすい。ただ、坂の街を描くのってほんま初めてみたいなもんなんで。

あっ、そうか、神戸を描いているけれど……。

【青山】はい、坂のあるほうは描いてないんで。渋谷描いたとき(※)もあるんですが、20〜30メートル程度の高低差だけやったから、函館のような奥行きがある坂は初めてですね。

※渋谷描いたとき 2019年10月、ムック『渋谷! 新しい巡り方。』(マガジンハウス)の表紙および表2折り返しに収録された鳥瞰図「渋谷バーズアイマップ2019-2027」のこと。

坂の角度を鳥瞰図の上に反映させなくてはいけない。

【青山】はい。なので、描く建物全部海抜をチェックしていきます。この家は15mの場所に建ってる、この家は23mの場所に建ってる……と全部チェックしていって、その高さのとこに描いていきます。そこはめんどくさいんですけども、やり方は確立したんで、今はそんなに苦になってません。まあちょっと2018年って、古いのだけが申し訳ないですけども、これを今更改訂することも無理なんで。

函館という街は、2018年から2023年までの間にガラッと変わる街ですか?

【青山】変わってます。そこは神戸とは違いますね。函館って、今、人口24万4000人ちょっとですけど、毎年3000人減ってるんです。3年で1万人減るんですよ。街がどんどんしぼんでいってるんで、どんどん建物が消えていくんです。空き家や更地ばっかり。2018年までに1万8000枚の写真を撮ってるんですが、これを2023年の函館に直してくれって言われたら、どこの建物がなくなったのか、どこが建て替わったのかを1から全部調査しないといけない。この先、神戸もわかんないですけれど、函館はもっと前からしぼんでいってるんです。

逆に言えば、そこを描いてとどめておく意味も「函館鳥瞰図」にはある?

【青山】棒二森屋(※)があったこととかね。西小学校(※)も解体工事中やし。もうそこらじゅうで消えていくばっかり。

※棒二森屋 ぼうにもりや。函館駅前にあった地元の老舗百貨店。1937[昭和12]年営業開始、2019[平成31]年1月閉店。
※函館市立西小学校 函館山の裾野、弥生町にあった小学校。2009[平成21]年3月に同弥生小学校に統合され廃校となった。

継続して通っているがゆえに、「あれ? この間まであった建物が」ということも?

【青山】ありますね。で、しかも、SNSでアンテナ貼ってるんで。「うわ、この住宅、解体工事始まってんねんや」「この銭湯、今月末で閉まるんだ。よし、今のうちになんとかして描いとかな」みたいな、そんなんばっかりですよ。

鳥瞰図を描くときに、函館の街の歴史的な背景を知っておく必要ってあるんですか?

【青山】ないとは思いますけど、ぼく好きなんで、郷土史が。ついつい調べちゃいますね(笑)。ネットで見れる程度ですけど。歴史でいえばなんといっても1934(昭和9)年の函館大火ですね。もうあれは強烈ですし、その前にもたび重なる大火があるし。街が丸焼けになるような火災がもう何回も起きてて、そして道が広がっていく。

火除け(ひよけ、防火帯)として道が広がっていったんですね。

【青山】はい。すごいわかりやすいですよ。大火のあとに広いグリーンベルトができ、区画整理されていく。こうやって描いててその街のことに詳しくなれるのって、ぼくにとって幸せなんですよ。地元の人と話するときでも同じことばで話せるので。

函館の人とは、函館大火の話になったことってありましたか?

【青山】どっちかというと、ぼくから振るぐらいちゃうかな(笑)。学校で習ってるでしょうけど、実感としてはないんでしょうね。函館のまちづくりって、函館大火と切っても切り離せないんですけどね。グリーンベルトから消火栓の形からいろんな坂まで。で、そんだけ燃えてもちゃんと復興できるとこが函館すごいんですよ。何回燃えてもまた立ち上がっていくんですよ。偉いなあ、と。さすがに函館大火だけはきつすぎて、それまでの北海道ナンバーワン都市の地位を札幌に奪われて、そこから戻ることはなかったんですけど。

函館はもう「よその街」じゃない

最初は函館の人たちに不思議がられませんでしたか? 「なんであなた神戸から来て、この街の鳥瞰図ってやつを描いてるの?」と。

【青山】そうだったのかもしれないですけど、もう今、ほんま、なんか、友達ですよ。

どういうふうに出会うんですか。

【青山】呑み屋さん。そこのお店の人やったりとか。ぼくが現地の新聞とか載ると、数カ月後に函館行ったときに「この前新聞出てたよ!」って。いまでも、決まったお店には必ず顔出すんで。めっちゃ喜んでくれます。

どんな感じのお店なんですか。

【青山】駅前の居酒屋さんが多いですね。あと五稜郭公園のほうの天ぷら屋さんとかバーとか、何軒か必ず行く場所があるんで。それも最近また増えてきてるんで。

函館の食いもんどうですか?

【青山】めっちゃおいしいです(笑)! 海鮮おいしい。じゃがいももおいしいしなあ……。オールシーズン行ってますからね、季節ごとにおいしいもの食べてます。

行った先に友達がいておいしいもん食べるってのいいですよねえ。

【青山】はい(笑)。「よう、久しぶりに来たねえ」って仲間に入れてくれるっていう安心感。ぼくにとって函館はもう「よその街」じゃない。第2のふるさとみたいなもんですよ。今回のトークイベントで10回目ですからね(笑)。

次回予告

今、青山さんの最新作「函館鳥瞰図」が完成しようとしています。インタビューのあとで青山さんはちょっと寂しそうに「完成したら函館行くことなくなっていくんやろうな……」と言われたわけですが、そのあとに「また、違う次のとこに注力するでしょうから」と呟きました。気になります、青山さんの「次」はどこなのか。次回《【第3回】ぼくはどこから来てどこへ行くのか》ではそのお話を伺います。
▲ページの先頭へ戻る
copyright © 苦楽堂 all rights reserved.