苦楽堂通信

インタビュー

2015年4月11日号

『次の本へ』装画家に訊く─青山大介さん(神戸の鳥瞰図絵師)【第1回】

ぼくはなんで海文堂書店を描いたのか

文・苦楽堂編集部

インタビューに答える青山大介さん。手元に拡げられたのは青山さんの作品「港町神戸鳥瞰図」。(撮影:古本屋ワールドエンズ・ガーデン店主、小沢悠介さん)

2013年9月30日。神戸・元町の海文堂書店が閉店した。最後の3日間、店頭で売られていたのが「海文堂書店 絵図 1914-2013」。1階と2階の棚がひと目でわかるように立体的に描かれたA3版の絵。99年で歴史を閉じた書店の最後の姿。描いたのは、神戸出身・在住の鳥瞰図絵師・青山大介さん(現在39歳)。小社苦楽堂が最初に刊行した本『次の本へ』(2014年11月刊)のカバーにはこの「海文堂書店 絵図」を使わせてもらった。青山さんはなぜ海文堂書店の絵を描いたのか。なぜ鳥瞰図絵師になったのか。20年前の震災の日から何を考えて暮らしてきたのか。今2月に発売された大作「港町神戸鳥瞰図」新版の話も合わせてインタビュー。

「なんかお返ししたい」と

「海文堂書店 絵図」の制作にはどれくらいの時間がかかったんですか。

【青山】これはもう早かったですよ。7月8月は出身高校の鳥瞰図描いてたんで、それ終わってから10日くらいでこれ描きました。

10日で描けちゃうんですか、これ。

【青山】でも9月末で閉店というのあったから、早くせなあかんと自分の中で強迫観念とかもあったんで。「これが間に合わなかったら今までやってきた意味がないんだよ!」みたいなかんじで描いてました。

私が青山さんのことを初めて知ったのは、2007年4月の神戸新聞の記事«これぞ神戸流/旧居留地 緻密に描写/鳥瞰図を趣味で描く»でした。紙面に載った鳥瞰図を見て、うわこりゃすげえ、会いたいな、と。初めてお会いしたのが2013年8月、閉店することが新聞に載って、お客さんでごった返す海文堂書店のフロア。「最初に出す本のカバーに使わせて下さい」は、次にお会いしたときに言ったんでしたっけ?

【青山】はい、あの年の11月ですね。11月23日、トークイベント終わったとき。

「鳥瞰図絵師! KOBE に集う!!」ですね。神戸波止場町TEN × TEN(注・海沿いの倉庫を改造した神戸の文化交流施設)で、青山さん、倉敷の岡本直樹さん、盛岡の中田匠さん、滋賀の高山尚道さんが作品を展示された際のトークイベント。

【青山】そこに、ぼくの作品を出版してくれている「くとうてん」(注・神戸の編集・制作会社)の皆さんもいたんで、いっしょに話をして「はい、いいですよ!」と。

一発でOK いただいてひじょうにありがたく。

【青山】いえいえこちらこそ、ありがたいです。

なぜ海文堂書店の絵を描こうと思ったんですか?

【青山】2013年の4月30日に「港町神戸鳥瞰図」をくとうてんさんから出してもらってるんですけど、海文堂書店さんがとにかくたくさん売ってくださったんですよ。5月18日にはサイン会もしてもらったんです。忘れもしない我が人生初めてのサイン会。ぼく自身めっちゃ船、好きなんで、海文堂書店さんの2階の海事専門書コーナーには中学生くらいの頃から行ってて。あの海事専門書コーナーって日本一やないですか。お店の人はぼくのことは何も知らなかったはずですけど、自分の中では25年くらいのつきあいがある本屋さんやったんです。それがサイン会もやらせてもらって、お店の人ともすごく密接に関わらせてもらえた。こんだけ可愛がってもらったお店が、8月の5日くらいでしたっけ、「閉店する」と新聞にばーんと出て「ええっ?」となって、「なんかお返ししたい」と新聞読んで2日目くらいに、絵を描こうと思いました。夏葉社の島田潤一郎さんは「写真集(『海文堂書店の8月7日と8月17日』)を出すと当日に決めた」ってどっかで書いてますよね。ぼくはちょっと遅かったです(笑)

そもそもはお店の方へのプレゼント

描くと決めてからどうされたんですか。

【青山】まず、お店に挨拶に行きました。ぼくその頃サラリーマンしてたんで、(閉店記事が出て)最初の週末の土曜日やったかな、中央カウンターで福岡宏泰店長に「絵ぇ描かしてください。上から見た絵を描きたいんです」と。福岡店長、半泣きで「ぜひ、よろしく、お願いします」と即、決まったんです。翌日かな、実測に入りました。

実測ってどうやるんですか?

【青山】建物の形そのものはけっこう変型してるんですよ。Google の真(しん)俯瞰空撮画像、誰もがよく使うあれを見て、建物の輪郭を得たんです。そこから店内どこにどういう柱があって、どういうふうに建物が分かれているかを、売り場を歩き回ってA4のバインダーに挟んだ紙に「ここに柱がある」「この本棚は少し高い」「ここに平台がある」とトレースしていったんですよ。アンド、写真をぱしゃぱしゃ撮っていきましたね。

レーザー測距機は使いました?

【青山】あ、使いました。

メジャーも?

【青山】使いました。売り場は、閉店報道後、お客さんがわんさか来てたので、特にレジ回りとかはメジャーで当たるのがさすがに無理な状態やったから、レーザーの「ぴっ」と測れるやつで、お客さんに判りにくいようにさりげなく足元から測ったり(笑)。で、暇な……暇って言っちゃあかんか(笑)、そういう奥のほうのフロアはふつうに本棚の間隔をメジャーで測って。

「海文堂書店 絵図」は商品にして売る予定だったんですか?

【青山】そもそもは、お店の方にプレゼントしたかったんです。

うわあ。

【青山】そこをくとうてんの方々が汲み取ってくれて「商品化しよう」言うてくれて。そのへんはあやふやなんですけど、お互いみんなあのときは向いてる方向は一緒やったけど、ナリユキやったな、と(笑)。商品化してくれる聞いて「よっしゃあ」と気合い入って。完成させて閉店までのラスト3日で販売したんですけど、その前の日の夜、裏口から入って、くとうてんブースになっていたところに陳列に行ったんです。そんとき売り場に残ってたの児童書コーナーの田中智美さんひとりだけやったんで、田中さんに簡易進呈式みたいなことしまして。おひとり1部ずつ、バイトの方のぶんも含めて22部やったかな、「ありがとうございました」とお渡しして。

翌日、田中さんからお店の皆さんに配られた、と。

【青山】そうです。翌日からの3日間、ぼく、ブースのあたりにおったんですけど、皆さん代わる代わるいらっしゃって「ありがとうございました」言うてくれて、ああ、良かったなあ……と思って。

3日間、青山さん、ずっといたんですか。

【青山】ほぼほぼいましたよ。最終日、シャッターががーっと降りるとき、ぼく、店の内側で見てましたもん。外はもの凄い状態になってましたけど。

「ありましたよ、ライバル意識」

「海文堂書店 絵図」、いっぱい売れました?

【青山】あんまやらしい話してあれですけど、売れましたね。元々の額が知れてるから金額的にどうのってんじゃないですけど、3 日間という限られた中で売れた部数としては、『海文堂書店の8月7日と8月17日』より売れてます(笑)。

あれっ? どっかライバル感あったんですか?

【青山】いや、そりゃ(笑)……ありましたよ、ライバル意識(笑)。あれは東京の人らがつくられたものじゃないですか。「なんで地元の人間が何もしぃへんの?」っていう悔しさもちょっとあったから。

夏葉社の写真集への率直なご感想は?

【青山】素晴らしいです。ぼくにはできないことを彼らはしてはるじゃないですか。いやもう。すごいなあ、いいなあと。こんなふうに撮ってもらえて一生残る記念になるし。本屋さんにとっても幸せなことやろうし。あの本とぼくの鳥瞰図両方あったら、海文堂書店さんっていつまで経っても再現できるやん、と思いましたね。ライバル意識よりも、こっちとあっちがあったら、鬼に金棒やな、と。

じゃあ、吉祥寺の書店「BOOKS ルー・エ」店員の花本武さんがフリーペーパーに描いた海文堂書店の平面図はいらない(笑)?

【青山】いやっ、そんな、「いらない」って、いや、あれにも、ええと、あれこそ、「やられた!」っていう感想です。

青山さん言ってましたもんね。「あっ、実際のプロの書店員が見るとこうなるんだ」って。

【青山】はい、ぼく、本屋さんってまったくわかってなかったんで、正面向けて……面陳って言うんですか? いろんな並べ方があるんだというのが、描いてみてわかったんですよ。「ああ、本屋さんって面白いんやな」と。ただザーッと並べてるだけやないんやな、と。お店それぞれに書店さんがしてはる「これは」というのがあるんですね。

いい本が発売されてても、出合えない

ここがエンドで、平台で、という書店の棚の構造は描きながら気づいていかれた?

【青山】はい、よく、わかりました。「案外平台ってデカいんやなあ」とか。ふだんは気にして見てなかったんですけど、描いてみたらそれぞれのエンドの部分がデカいんやな、と。ぼくはだいたい店入るとすぐ階段上って2階に直行してた人間なんで(笑)、下のほうはあんまり、雑誌コーナーくらいしかお世話になってないんですけど(笑)。

2階に直行してた人、そんなにいねえんじゃないですか?

【青山】いやいや、そこが港町神戸で、けっこう上が評価が高いというか、海文堂書店のお客には「上の住人」いうのがおるんですよ。閉店騒ぎの時、Twitter とかでうわっと情報出てましたけど、圧倒的に「下の人」が騒いでる話が多かったんで、ぼくは「へえ」「はあ」というかんじで見てたんですよ。自分の居場所は2階やったから。あんま下の蘊蓄とかわかってなかったんですけど(笑)。

「上の住人」からすると、海文堂書店の閉店は「このあと海事書どこで買えばいいの」という現実的な問題だったんですか?

【青山】それはもう、今もそうですよ。あれ以降、海事書を目にする場所がないんですもん。いい本が発売されてても、知り得ない。出合えないんですよ。それはもうひじょうに痛いですね。海文堂書店にいたら必ず出合えるものが、もう見れないんですよ。寂しい話やなとつねづね思ってます。

店に行くことによって「あっ、こういう本が出ているんだ」と気づく遭遇戦が、なくなっちゃった。

【青山】そうなんですよ。いちいちインターネットでアンテナ張ってるわけにもいかんですからね。ほんとに「売り場に並んでる」って、ありがたかったんですよね。

「得意技を持っている本屋」というのが消えるということは、そういうことなんですね。

【青山】お店閉まってからの1年間、海事専門書にしても雑誌にしても、ほんと、買ってないですもん。見ないから。

大阪に行ったら補完できるかというと……。

【青山】そういうものでもないんですよ。あれだけの海事専門書の棚って、梅田の大きな本屋さんでもないですもん。せいぜい一列ぶんくらいですから。

青山さんは、現実的に困ってる。

【青山】そうなんですよ。他の店で「うちが海事専門書やります」いうところもあったんですけど、「それ、ヨットの本ばっかりやん!」と。気持ちはわかるけど、これじゃ……と。どこも満たしてくれてないですね。

次回予告

喪った話だけでは寂しすぎるので、次回は「つくる」「生み出す」話を伺います。そもそもなぜ、青山さんは鳥瞰図を描くようになったのか。次回《ぼくはなんで鳥瞰図絵師になったのか》はこちら
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